土井中照がお送りする「ミラクルワールド=愛媛」のご紹介です。
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「神」のつく名字

愛媛は神の名前

愛媛という県名は『古事記』に記された「伊予国は愛比売といい」からとられました。『古事記』では、四国には女神と男神がそれぞれ2人いると説明されています。また「比売」は女神につけられる名前ですが、「姫」とせず「媛」としたのは「愛」との字形の相性が良いと考えられたためでした。古字では「姫」が女官、「媛」は美女を意味するといいます。

「愛媛」という県名は、明治6年2月、石鉄県(石鎚山のこと)と神山県(神山は八幡浜にある山)が合併して、「愛媛」が誕生しました。霊山も多く、四国遍路のように巡礼文化も色濃く残っています。愛媛には、この地方の気候のように穏やかな気風が強く、巡礼に施しをして自らが救われようとする「お接待」などの風習も残っています。

「神」に関係する名前が多いのは、信心深い土地柄と何らかの関係があるのでしょうか?

愛媛に多い神のつく名字

愛媛には「神」のつく名字の方がたくさんいらっしゃいます。その名字のルーツを探ってみます。

「神野郡」に関係するかもしれない「神野」さん

「神野(じんの)」さんは、新居浜市付近に多い名字です。大宝律令以降の郡制には、今の新居浜市から西条市にかけて「神野(かんの)郡」がありました。ところが、嵯峨天皇が生まれた際、幼名を神野としたため、恐れ多いと「新居郡」に変えられました。

越智氏族に「神野氏」があり、大三島の大山祇神社の神職であった大祝家から神野氏が分かれたとする系図があります。神野氏は、怪島城(現今治市大西)の城主(神野左馬允)にも名前が出てきます。ただし、この「神野」さんが古代の郡名に由来するかどうかは、よくわかりません。

島の名前に由来する「二神(ふたがみ)」さん。

二神島は忽那諸島にあり、現在は松山市に属しています。「二神」の名前は、この島に八幡神社と妙見神社の二つがあったことに由来します。

忽那諸島は、南北朝時代には南朝方の要地となっていました。「二神」さんの祖先は、長門国に下向した藤原輔長で、長門国豊田の領主となって豊田氏と名乗っていました。はっきりとした史料はありませんが、南北朝次第に豊田氏の跡目争いがあり、破れた実子の種家は、二神島に土着して二神氏の祖になったといいます。

のちに二神氏は大浦八幡信者の神職となり、祭祀などを執り行いました。まさに名前の通り、神に近づくことになったのでした。

神がかり的勝利の宇和島東高

宇和島東高校初出場初優勝の神がかり的な勝利で、有名になったのが「薬師神」と「明神」という出場選手の名字で、神様がいらっしゃるのだから、優勝は当然のことだともいわれました。

「薬師神」さんは、「飯野山(現八幡浜市穴井)城主であった井上氏が、天正12(1584)年頃に長曽我部元親に攻められて落城した際、城主の息子が薬師堂まで逃れて命を救われたため、薬師寺と姓を改めました。のち、穴井天満宮の神主となって「薬師神」という名字になったといいます。

「明神」さんは、高知県に多い名字です。元々は尾張出身(和泉の説もあり)で、長宗我部氏に仕えたという系図が高知県立図書館にあります。ただ、この系図は少し怪しいところがあり、伊予国浮穴郡久万郷にあった明神という地名からきたのではないかともいわれています。「明神」さんの先祖は、この地を支配していた大野氏に仕えていて、久谷の葛掛城主(明神清左衛門里壽)にその名があります。また、四国霊場第44番札所菅生山大寶寺には、猟師の明神右京・隼人兄弟が、十一観音菩薩を見つけて、この場所に安置したのが始まりと言い伝えられています。

「神」に由来するものが多い愛媛県

こうしてみると、愛媛には「神」に由来するものが多いようです。
石鎚山や石出山などの霊山も多く、四国遍路のように巡礼文化も色濃く残っています。愛媛には、この地方の気候のように穏やかな気風が強く、巡礼に施しをして自らが救われようとする「お接待」などの風習も残っています。

「神」に関係する名前が多いのは、信心深い土地柄と何らかの関係があるのでしょうか?