土井中照がお送りする「ミラクルワールド=愛媛」のご紹介です。
歴史や民俗、食材、郷土料理、名産品、パワースポット、県民性など、びっくりする情報をお届けします。

三予人て何?

険しい四国山地と海が作った「三予人気質」

愛媛県は、山地が80%近くもあります。そして、海岸線が陸地に迫っているところも多く、東西に細長い地形では、四国山地に遮られてしまい、他の地域との交流が活発に行われませんでした。そのため、海に面し畿内との交流が盛んな中・東予の人々と、山裾が深く盆地に住む南予の人々の性格に、違いが出てくるのは当然のことかもしれません。

また江戸時代には、西条藩、小松藩、今治藩の東予、松山藩の中予、宇和島藩、吉田藩、大洲藩、新谷藩の南予と、愛媛は八藩に分かれていました。江戸時代前後の著作といわれる『人国記』には「伊予国は東西に気質が分かれる」という記述があり、もともと地域性が顕著な土地柄であったとも考えられます。

県民性研究の第一人者・祖父江孝男氏は、昭和47年(1971)に刊行された『県民性』で、愛媛県民は「温和、人情味に富む、のんびり等々がよくあげられるが、地域差も著しい。愛媛を大きく分けて、松山を中心とした一帯を中予、それより東の今治を中心としたあたりを東予、旧大洲藩以南を南予というが、中予は学者的、文人肌的なところがあってのんびりしているが、排他的。南予のほうはのんびりの程度も大きくなって豪放なところもあるが、人はよいようでいてよくない、などと言われたりする。そして、東予となると、金に細かく、どこかこすっからいところがある。しかしきわめて勤勉で粘り強いと言われている」と記しています。

「三予人」とは、性格や産業の異なった「東予」「中予」「南予」の三つの地域が一緒になった人たち。つまり「愛媛県民」をあらわす言葉なのです。

戦後まもない時期でも違いがはっきり

戦後、愛媛出身の経済人を対象に出版された「三豫人」第10号(昭和26年12月発行)では今治財界人と宇和島財界人、それぞれの座談会が行われています。そのなかから三予人気質に関するものを抜きだしてみました。これらは戦後まもなくの地域の実感として語られたもので、現在にもつながる三予人の真理が伺えます。

今治の経済人たちは「松山の産業が発展しそうで、もうひとつ発展しないワケも結局、働く心構えの訓練に欠けているから…」「今治商人は利益を追求することが急であるために、信用を落とし相手をされぬようになる」「ユダヤ人を欺すのは大阪人だが、大阪商人を欺すのは今治商人だ」「世界一の商才を持った今治人」と語っています。これらからも、今治人は商売への自負が揺るぎないことがわかります。

一方、宇和島の経済人たちは「南予の者は、郷里に帰るにも不便で、しょうことなしに同郷同志が親しくしている」「南予でも、八幡浜あたりの者の方が辛抱強かろう」「総体的にいうと故郷に帰っても食えぬ者ほど辛抱強い」「南予の者は、東予人に比べて粘りと根気がない」「東予でも、他県人がさかんに出入りする香川県に近よるほど腹黒い者が多いようだ」「宇和島人は、第一に協力一致の精神がゼロでお話にならない」「八幡浜人はすばしこい」「宇和島のものは、ぼおッとしておるからやられるんだ」「悪かしこいものは、八幡浜方面や今治以東に多い」と語っています。今治人とくらべると愚痴が多く、後ろ向きの発言となっているのでした。

三予人に気質が分かれた理由

昭和58年(1983)出版の『県別日本人気質』では、愛媛新聞記者の藤田征三氏が「もし百万円が自由に使えるとすればどうするか? 東予人はそれを資本に商売に精出し、二百万、三百万と儲けを増やすことを考える。中予人は最も有利な貯蓄に回して利子で趣味や娯楽を求める。南予人は大散財を考え、ひと晩で使い切れるだろうかと思案する」と書き、「東予=活動型。中予=温和型。南予=陽気型。これが最も一般的な三予人気質」と規定しています。

工場などの労働者や自営業者など、二次産業従事者の多い東予。サラリーマンなどの三次産業従事者の多い中予、農業や漁業といった一次産業従事者が多い南予。その地域の気質をつくりだすのは職業です。東予はブルーカラーや自営のため商売に勢をだします。中予はサラリーマンが多いため、趣味にいきようとします。そして、南予は天候に左右される農業や漁業のため、保守的で粘り強い性格になったのかもしれません。まさか、性格が職業を選ぶというわけではないと思うのですが…。