土井中照がお送りする「ミラクルワールド=愛媛」のご紹介です。
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空から降ってきた天山

隕石が降ってきたという伝説

『伊予国風土記』逸文には、「天から山が降ってきて、ひとつが大和(奈良県)の天香具山に、もうひとつは伊予の天山になった」と記されています。これは隕石が地上に落ちてきたことを示すもののようです。愛媛県だけでも、隕石に因む場所には「星」「天」という名前がつけられました。また、隕石が落ちた場所には祠が建てられることが多いようです。

天山の近くには「星岡(ほしがおか)」という地名があります。「星岡」の地名は、星の形に似た五つの岡の形状からの命名されたといわれ、森があることから「五つが森」とも呼ぶこともあったといいます。
また、天山に伊弉諾命(イザナギノミコト)・伊弉那美命(イザナミノミコト)の両神が降り立ち、その家来が近くの山に住んだので、神々を月と太陽に例え、家来を星になぞらえて「星岡」の地名が誕生したともいわれます。
 この辺りの地形は隕石が落下した跡のようで、「世々を経て幾代になりぬ久方の天下りけん星岡の山」という和歌が伝えられていることから、かつて隕石落下があったと考える学者もいるほどです。

愛媛にある隕石落下由来の地名

四国中央市の「赤星山」には、宇摩大領の越智玉澄の船が転覆しそうになった時、神に祈ると星が飛んできて、山頂に赤い星のような火が現れて船も無事に三島の港に着句ことができました。そこで玉澄は豊受山に風穴神社を建てて風神を祀りました。このことでも赤星の現れた山を赤星山と呼ぶようになったという伝説が残っています。

新居浜市の星原町には「眞星(ほし)神社」「星の宮神社」と呼ばれる小さな神社があります。この神社は、この地に隕石が落下した時、里人は隕石をご神体として祀りました。

小松町には「星森峠(ほしのもりとうげ)」があります。この地名は、弘法大師が星供養を行ったことが由来になっています。古代中国では、人は北斗七星のどれかの星が運命の星であり、寿命や運命を司どると信じられてきました。また、この近くの横峰寺の縁起には、嵯峨天皇の勅命で弘法大師が星森で星供養を行うと、多くの星が降り、旱魃に苦しんでいた土地に恵みの雨が降り注いだと記されています。

今治市大西の「星浦」にある「星神社」は、天から落ちてきた珍しい石をご神体にしています。子供たちがその石を見つけて遊んでいたところ、悪い病気が流行りだしたため、祟りを恐れて「星神社」を祀りました。さのため、このあたりの海岸を「星浦」と呼ぶようになったといいます。

天山と天香具山

天香具山は、昔からさまざまな儀式が行われた霊山でした。天照大神(アマテラスオオミカミ)が天岩戸にお隠れになった際、神々が合議していろいろの策をとった際には、「天香(具)山の真男鹿の肩を内抜きに抜きて、天香(具)山の波波迦をとりて占へまかなはしめて」という記述が『古事記』に書かれています。つまり、この記述は、天香具山では神託を受ける占いが日常的に行われていたことを示すものです。

天山山頂にある天山神社には、天照大神と天櫛真智命(クシマチノミコト)が祀られていますが、天櫛真智命は卜占を司り、鹿の骨を焼いて占う太兆を始めた神なのです。「政」を「祭り事」というように、太古の政治は神々と交感することが重要な仕事でした。

東の天香具山、北の耳成山、西の畝傍山の大和三山に囲まれ、飛鳥川が流れる平地の中央に藤原京があるように、天山のある場所は、北に「天山」、東に「星岡山」、西に「東山」がそびえ、その間を小野川が流れています。「天山」の山麓や周辺には古墳群があり、副葬品の管玉や神獣鏡、鉄剣などが出土している。天山北遺跡からは台付壷形土器や高杯などの献供や儀式に使われる土器が発見されていることからも、「天山」では有力者の支配のもと、宗教的な儀式が行われていたのかもしれません。

なお、昭和32年、天香具山の地、橿原市南浦町の天香山神社と松山市天山町の天山神社との交流が始まり、昭和52年5月8日に交流20周年を記念して記念碑が建立されています。
天香山神社には、天から山が落ちてきたという伝承は残っていませんが、『古事記』の天岩戸神話に「天児屋命と布刀玉命を召して、天の香山の真男鹿の肩を全抜きて、天の香山のははかを取りて、占合ひまかなはしめて」と記され、天香久山の雄鹿の骨を抜きとって「朱桜」の木の皮で焼き、吉凶を占ったことが記されています。