天山と天香具山
天香具山は、昔からさまざまな儀式が行われた霊山でした。天照大神(アマテラスオオミカミ)が天岩戸にお隠れになった際、神々が合議していろいろの策をとった際には、「天香(具)山の真男鹿の肩を内抜きに抜きて、天香(具)山の波波迦をとりて占へまかなはしめて」という記述が『古事記』に書かれています。つまり、この記述は、天香具山では神託を受ける占いが日常的に行われていたことを示すものです。
天山山頂にある天山神社には、天照大神と天櫛真智命(クシマチノミコト)が祀られていますが、天櫛真智命は卜占を司り、鹿の骨を焼いて占う太兆を始めた神なのです。「政」を「祭り事」というように、太古の政治は神々と交感することが重要な仕事でした。
東の天香具山、北の耳成山、西の畝傍山の大和三山に囲まれ、飛鳥川が流れる平地の中央に藤原京があるように、天山のある場所は、北に「天山」、東に「星岡山」、西に「東山」がそびえ、その間を小野川が流れています。「天山」の山麓や周辺には古墳群があり、副葬品の管玉や神獣鏡、鉄剣などが出土している。天山北遺跡からは台付壷形土器や高杯などの献供や儀式に使われる土器が発見されていることからも、「天山」では有力者の支配のもと、宗教的な儀式が行われていたのかもしれません。
なお、昭和32年、天香具山の地、橿原市南浦町の天香山神社と松山市天山町の天山神社との交流が始まり、昭和52年5月8日に交流20周年を記念して記念碑が建立されています。
天香山神社には、天から山が落ちてきたという伝承は残っていませんが、『古事記』の天岩戸神話に「天児屋命と布刀玉命を召して、天の香山の真男鹿の肩を全抜きて、天の香山のははかを取りて、占合ひまかなはしめて」と記され、天香久山の雄鹿の骨を抜きとって「朱桜」の木の皮で焼き、吉凶を占ったことが記されています。 |