土井中照がお送りする「ミラクルワールド=愛媛」のご紹介です。
歴史や民俗、食材、郷土料理、名産品、パワースポット、県民性など、びっくりする情報をお届けします。

坊っちゃんと松山

夏目漱石に貶されても『坊っちゃん』を愛する

『坊っちゃん』に書かれた悪口を気にかけず、それどころか商売のネタにしてしまう愛媛人は、全国からみると不思議に思われているようです。これを「鷹揚」とみるか「商売上手」とみるかは人それぞれなのですが…。

松山には『坊っちゃん』が冠せられたものがたくさんあります。飲食店、喫茶店、居酒屋はいうにおよばず、公共施設や行事にも『坊っちゃん』の名がつけられているのです。

「坊っちゃん」を冠する賞や場所

松山市が主宰する「坊っちゃん文学賞」は平成元年(1989)の市制百周年を機に創設されました。現在は、ショートショートを中心に変更され、全国から多くの応募作品が寄せられているます。
第4回大賞を受賞した敷村良子著「がんばっていきまっしょい」は田中麗奈主演で映画化され、「坊っちゃん文学賞」の名を全国に広めました。また、今年の2024年には、アニメ化されて銀幕に登場しています。

「坊っちゃんスタジアム」は、平成12年(2000)にオープンした松山市中央公園野球場です。愛称を公募したところ、全国から1528の応募があり、そのうち107件が「坊っちゃんスタジアム」でした。他にも「オレンジスタジアム」や「子規スタジアム」というネーミング案が寄せられています。「坊っちゃんスタジアム」はの命名の理由は、全国に松山らしさをアピールするためというものです。
平成17年(2005)に「坊っちゃんスタジアム」で行われたヤクルト・広島戦では、ヤクルトの古田選手が二千本安打を打ち、全国に球場の名前をアピール。まさに、目論見通りの結果になりました。

道後温泉本館の3階にある「坊っちゃんの間」は、昭和41年(1966)、正岡子規や柳原極堂の生誕100年祭を催した際、道後温泉本館3階の一室を夏目漱石ゆかりの部屋として定められました。
ここが本当に漱石が利用した場所であるかはさておき、漱石が湯上りにくつろいだといわれるコンセプトで、漱石の見合写真や胸像などが展示されています。入館された方は、自由に見学できます。

松山市駅電停そばの伊予鉄グループ本社ビル1Fにある「坊ちゃん列車ミュージアム」では、坊ちゃん列車の歴史を知ることができます。同社の歴史をまとめた年表や、伊予鉄道1号機関車の原寸大レプリカ、松山市内の今昔対比ジオラマ、車輌の部品などを展示しています。

「坊っちゃんカラクリ時計」は、時間になると小説の登場人物が曲に合わせて. 現れる、足湯と隣接した人気観光スポットです。
道後温泉駅前広場・放生園において、ひときわ目を惹くのが「坊っちゃんカラクリ時計」です。これは道後温泉本館の建設100周年事業の一環として平成6年に設置されたものです。竹下内閣の「ふるさと創生事業」1億円を使って建てられました。道後温泉本館の振鷺閣を模し、白鷺や赤いぎやまん障子も再現されています。また、決められた時間になると、軽快なメロディと共に『坊っちゃん』の登場人物が現れ、広場を彩ります。

「坊っちゃん劇場」は東温市にありますが、平成16年(2006)4月から開業。四国・瀬戸内海の歴史・伝統文化・偉人をテーマとした自主制作のオリジナル作品を、年間を通して上演している日本で唯一の地域拠点型劇場です。

どんなにけなされても「坊っちゃん」を冠す

夏目漱石が松山中学校の英語教師としてこの地を踏んだのは、明治28(1895)年4月のことでした。そのころの道後温泉は、新築されたばかりで木の香りも新しく、漱石の心を魅了したようです。

漱石は、イギリスから帰り、帝国大学に勤めていた明治39(1906)年、に小説『坊っちゃん』を「ホトトギス」に発表。小説は地方都市・松山での印象を描いたものでした。道後温泉は、「住田の温泉」として登場しています。

漱石が道後の湯に入っていた頃、道後温泉本館の改築を英断した伊佐庭如矢町長の発案といわれる「湯ざらし団子」の美味しさが評判になりました。

大正4(1915)年、伊予日日新聞に連載された阿部里雪の「道後温泉と伊佐庭如矢」には、道後温泉本館東の丘に道後町が経営していた「風詠館」という茶店があり、赤餡と白餡の団子を三つ串に刺したものを売り出したと記しています。松山市役所から発行された『伊予の松山』の昭和8(1933)年4月号の座談会では、渡部芳澄が「今の松ヶ枝町遊廓の角、タバコ屋のすぐ奥の家で、そこが坊っちゃん団子発祥地です」と記しています。

朝日新聞松山支局が編纂した『道後物語』には、富田狸通が「小さくちぎったモチで、湯にさらしてからあんでくるんだ、いわゆるあんころもち。それを五、六個、さらにのせて売っていた」とあり、『道後温泉』(松山市役所刊)には、「三浦屋という菓子屋が(中略)漱石が団子を食ったのは、松ヶ枝町時代の自分の店に違いないと、坊っちゃん団子の名を思いつき、品質を改良して挽き茶の緑、卵の黄、小豆の茶の三色餡とし、くろもじの楊子にさして一本二銭で売り出した」と書いています。

これらの説をまとめると、小説に登場する団子屋のモデルは、「風詠館」か松ヶ枝町の「三浦屋」「茶屋又」のいずれかとなります。現在、「風詠館」はなく、「三浦屋」は大分県へと移り、「茶屋又」は「つぼや菓子舗」という店名で現在も「坊っちゃん団子」を売っています。

ただ、愛媛人や松山人は、県外で出身地の話になると『坊っちゃん』の話題を振られるため、飽き飽きしています。『坊っちゃん』のついたネーミングをみると「またか」と思うのも事実ですが、心やさしい愛媛県民や松山人は、道後温泉で坊っちゃんやマドンナのコスチュームを着た観光ガイドを眺めながら「観光につながるから、まあ、いいか」などと呟くのでした。