どんなにけなされても「坊っちゃん」を冠す
夏目漱石が松山中学校の英語教師としてこの地を踏んだのは、明治28(1895)年4月のことでした。そのころの道後温泉は、新築されたばかりで木の香りも新しく、漱石の心を魅了したようです。
漱石は、イギリスから帰り、帝国大学に勤めていた明治39(1906)年、に小説『坊っちゃん』を「ホトトギス」に発表。小説は地方都市・松山での印象を描いたものでした。道後温泉は、「住田の温泉」として登場しています。
漱石が道後の湯に入っていた頃、道後温泉本館の改築を英断した伊佐庭如矢町長の発案といわれる「湯ざらし団子」の美味しさが評判になりました。
大正4(1915)年、伊予日日新聞に連載された阿部里雪の「道後温泉と伊佐庭如矢」には、道後温泉本館東の丘に道後町が経営していた「風詠館」という茶店があり、赤餡と白餡の団子を三つ串に刺したものを売り出したと記しています。松山市役所から発行された『伊予の松山』の昭和8(1933)年4月号の座談会では、渡部芳澄が「今の松ヶ枝町遊廓の角、タバコ屋のすぐ奥の家で、そこが坊っちゃん団子発祥地です」と記しています。
朝日新聞松山支局が編纂した『道後物語』には、富田狸通が「小さくちぎったモチで、湯にさらしてからあんでくるんだ、いわゆるあんころもち。それを五、六個、さらにのせて売っていた」とあり、『道後温泉』(松山市役所刊)には、「三浦屋という菓子屋が(中略)漱石が団子を食ったのは、松ヶ枝町時代の自分の店に違いないと、坊っちゃん団子の名を思いつき、品質を改良して挽き茶の緑、卵の黄、小豆の茶の三色餡とし、くろもじの楊子にさして一本二銭で売り出した」と書いています。
これらの説をまとめると、小説に登場する団子屋のモデルは、「風詠館」か松ヶ枝町の「三浦屋」「茶屋又」のいずれかとなります。現在、「風詠館」はなく、「三浦屋」は大分県へと移り、「茶屋又」は「つぼや菓子舗」という店名で現在も「坊っちゃん団子」を売っています。
ただ、愛媛人や松山人は、県外で出身地の話になると『坊っちゃん』の話題を振られるため、飽き飽きしています。『坊っちゃん』のついたネーミングをみると「またか」と思うのも事実ですが、心やさしい愛媛県民や松山人は、道後温泉で坊っちゃんやマドンナのコスチュームを着た観光ガイドを眺めながら「観光につながるから、まあ、いいか」などと呟くのでした。 |