土井中照がお送りする「ミラクルワールド=愛媛」のご紹介です。
歴史や民俗、食材、郷土料理、名産品、パワースポット、県民性など、びっくりする情報をお届けします。

寅さんと愛媛

寅さん映画での愛媛

渥美清といえば「寅さん」で知られていますが、愛媛でもロケが行われました。

それが、昭和52年(1977)の夏に封切られた第19作『男はつらいよ 寅次郎と殿様』です。寅さんが藩主の子孫であるお爺さんと出会い、お爺さんの亡くなった息子の妻を巡ってのストーリー。主に大洲でロケが行われましたが、映画は伊予市の下灘駅にあるベンチで寝転がる寅さんから始まります。

嵐寛寿郎扮する殿様との出会いは、大洲城。マドンナ 役の真野響子さんがお墓参りをするのが法華寺。散策ではおはなはん通りや肱川の風景が挟まれ、最後は大洲高校のグラウンドで終わります。寅さんのテキ屋姿は、松山の興居島でのロケでした。

併映は、これも愛媛ロケを敢行した中村雅俊主演の『坊っちゃん』でした。

早坂暁との出会いと鹿島

北条出身の早坂暁は、大学時代に学生運動にかかわり、東大ポポロ事件で公安当局にマークされた暁は、玉ノ井に潜伏していました。その時、蛇骨湯という銭湯で、昼間の早い時間に体を洗っていた暁に、男が近づきました。「追われているんだろう。おいしいものでもご馳走するよ」と誘ったのが渥美清でした。

それからしばらくして、テレビ局などでシナリオライターと俳優という立場で再会してから、親交を深めました。清は、ことあるたびに「暁さんの田舎に連れて行ってくれ」と頼んだといいます。

それが実現したのが、昭和53年(1987)のことでした。この年から始まるテレビ朝日系列「土曜ワイド劇場」の第1回放送の『渥美清の田舎刑事』シリーズ「旅路の果て」で、清はロケ地の鹿島を初めて訪れました。脚本は地元の北条や鹿島を知り尽くしている早坂暁です。

清は、北条沖400メートルに浮かぶ周囲約1.5キロの小島・鹿島が気に入り、何度も訪れています。ひとりでふらっと島を訪れ、瀬戸内海の風景を眺めるだけで立ち去ることもありました。

鹿島港のすぐ近くに「お遍路が一列に行く虹の中」と刻まれた句碑がありますが、この句の作者は、「風天」。車寅次郎こと「フーテンの寅」を演じた喜劇役者・渥美清の雅号です。

この句は、朝日新聞の週刊誌「アエラ」が主催する平成6年6月6日の「アエラ句会」において「虹」の題で詠まれています。高得点にはなったものの、最高点に与えられる「天」にはな利ませんでした。
昭和60年(1985)からNHKドラマ人間模様の枠で放映された早坂暁脚本の『花ヘんろ』で、清はナレーションを担当しています。タイトルバックで一列になって歩く遍路の画像が流れるのですが、これを句にしたのが「お遍路が一列に行く虹の中」だというのです。

この句碑の6メートルほど後ろに、親友だった暁の「昭和とはどんな眺めぞ花遍路」の句碑が平成26年に建立されています。句碑は、二人の生前のように仲良く並んで、北条の海を穏やかに見つめています。

渥美清の人生

昭和3(19238)年に東京下谷に住む地方新聞記者の田所友次郎と、元小学校教諭の妻・タツとの間に次男として誕生したのが田所康雄。のちの渥美清です。幼い頃は病弱で、学校は休みがちでした。東京大空襲で焼け出され、工員として働きながら、テキ屋の手伝いをしていたといいます。

戦後、新派の軽演劇の幕引きになり、浅草のストリップ劇場を転々として喜劇の腕を磨きます。浅草の劇場で最高峰といわれた「フランス座」の専属コメディアンとなりますが、そこには長門勇、東八郎、関敬六、谷幹一などのコメディアン、座付き作家の井上ひさしがいました。のちの時代に輝く才能がきら星のようにひしめいていたのです。

清は昭和29(1954)年に肺結核に罹り、右肺を切除。2年間の入院ののち、清は劇場に復帰しました。しかし体を使うドタバタ喜劇はできなくなり、演技力で勝負をせざるを得なくなりました。

テレビ黎明期、若い才能を求めていたテレビ業界は清に白羽の矢を立てました。NHKのテレビ番組『夢であいましょう』『若い季節』で好演し、清は全国区の知名度を得ます。映画やテレビは清の人気にあやかろうと、競って主演に据えるのですが、いまひとつの決定打が出ません。

昭和43年(1968)10月、フジテレビが山田洋次・森崎東脚本によるドラマ『男はつらいよ』を放映します。視聴率は高くありませんでしたが、ハブに噛まれて主人公の車寅次郎が死んでしまうという結末に、視聴者から抗議の電話がテレビ局に殺到しました。

このことを聞いた松竹は翌年に映画『男はつらいよ』を製作。衰退しはじめた映画界の中でも堅調な興行収入をはじき出し、シリーズ化が決まりました。不思議なことに、シリーズが続くにつれ、観客動員が伸びていくのです。当初の50万人ほどの観客数が200万人にもなり、大ヒットを記録しました。高知ロケが予定されていた第49作『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』撮影前に倒れた清は、平成8年8月4日、転移性肺癌のために68歳で亡くなります。日本政府は国民栄誉賞を贈っています。