ふたりが詠んだ歌
軽太子は
「天飛鳥も使ぞ鶴が音の聞えむ時は我が名問はさね」
という和歌を詠みました。「空を飛ぶ鳥も貴方への使いです。鶴の鳴く声が聞こえる時には私のもとを尋ねてください」という意味の歌を軽大郎女へ送ったのでした。
軽大郎女は
「君が往きけ長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ」
との返歌を詠みます。「あなたが行ってからとても時間がたちました。お迎えに行きます。もう待つことができません」と、軽太子を追って伊予国へ向かいました。
伊予国で会った二人は
「隠り国の泊瀬の河の上瀬に斎くひを打ち下つ瀬に眞くひを打ち斎くひには鏡を懸け眞くひには眞玉を懸け眞玉なす吾が思う妹鏡如す吾が思う妻ありと言はばこそに家にも行かめ国をも偲はめ」
と詠んで、死後の世界へ旅立ちます。
『日本書紀』では、軽大郎女のみが伊予国に流罪され、軽太子は政変の失敗で自殺するという話になっています。軽大郎女にちなんだ地名は「姫原」といいます。高台には「姫塚」と呼ばれる比翼塚があり、近くの「姫池」の堤には二人を祀った軽之神社が建っています。その奥に小さな二基の五輪の比翼塚がつくられています。 |