土井中照がお送りする「ミラクルワールド=愛媛」のご紹介です。
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神話時代の悲恋に因む地名

禁じられた恋

『古事記』に書かれた、木梨軽太子と軽大郎女の悲恋物語に由来する地名が、松山市にあります。

允恭天皇の皇太子・軽太子には、軽大郎女という妹がいました。軽大郎女は、着物を通してその美しさが輝くことから衣通姫とも呼ばれていたといいます。この時代、異母兄妹の結婚は許されていたのですが、同母婚は固く禁じられていました。

軽太子は道ならぬ恋と知りながら、軽大郎女にいつしか恋してしまいます。二人は処罰を承知で通じますが、卜占により、この関係が知られてしまいます。軽太子は人びとからの信頼を失い、弟の穴穂御子(後の安康天皇)が跡継ぎになることが決まりました。

『日本書紀』允恭42年には、再び軽太子に関する記事が当時ようします。軽太子は暴虐で、妹の軽皇女を汚したため、群臣たちはこれに従わず、穴穂皇子に従ったので、太子は穴穂皇子を討とうとしたが敗れて自決。また、伊予国に配されたともいう、とあります。
軽太子は政変を起こしましたが失敗。大前小前宿禰の屋敷に逃げ込んだのですが囚われの身となり、伊余の湯、つまり道後温泉へ流されてしまったというのです。

ふたりが詠んだ歌

軽太子は
「天飛鳥も使ぞ鶴が音の聞えむ時は我が名問はさね」
という和歌を詠みました。「空を飛ぶ鳥も貴方への使いです。鶴の鳴く声が聞こえる時には私のもとを尋ねてください」という意味の歌を軽大郎女へ送ったのでした。

軽大郎女は
「君が往きけ長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ」
との返歌を詠みます。「あなたが行ってからとても時間がたちました。お迎えに行きます。もう待つことができません」と、軽太子を追って伊予国へ向かいました。

伊予国で会った二人は
「隠り国の泊瀬の河の上瀬に斎くひを打ち下つ瀬に眞くひを打ち斎くひには鏡を懸け眞くひには眞玉を懸け眞玉なす吾が思う妹鏡如す吾が思う妻ありと言はばこそに家にも行かめ国をも偲はめ」
と詠んで、死後の世界へ旅立ちます。

『日本書紀』では、軽大郎女のみが伊予国に流罪され、軽太子は政変の失敗で自殺するという話になっています。軽大郎女にちなんだ地名は「姫原」といいます。高台には「姫塚」と呼ばれる比翼塚があり、近くの「姫池」の堤には二人を祀った軽之神社が建っています。その奥に小さな二基の五輪の比翼塚がつくられています。

もう一つの伝説

この伝説の舞台が四国中央市だという説もあります。伊予国に配流された時、暴風雨にあって、太子が川之江に流れ着いたといい、川之江に住んだ太子は東宮山に祀られたというのです。ここには東宮山古墳などあって出土品も多く、古墳北側の春宮神社には太子を祀っています。東宮山古墳や山口古墳群の豪華な出土品が、軽太子の伝承を裏づけているともいわれているのです。

東宮山古墳は、四国中央市妻鳥町にある円墳または前方後円墳です。実際の被葬者は明らかではありませんが、宮内庁により「妻鳥陵墓参考地」(被葬候補者:第19代允恭天皇皇子木梨軽皇子)として陵墓参考地に指定されています。