西条藩
周桑郡大頭の佐伯家から養子になった星加勇蔵が、西条藩主に献上したのが西条の「ゆべし」です。
星加家は、もともと蒲鉾商だったので、実家に伝わる秘伝の菓子をつくったというのです。
『伊豫史談』(125号)によると、波満屋の屋号を持つ星加家は、鰆の子の干し物を西条藩主に献上していたため、柚子を鰆と同じ方法で加工したと記されている。『伊豫史談』(125号)によると、「波満屋の屋号を持つ星加家は、鰆の子の干し物を西条藩主に献上していたため、柚子を鰆と同じ方法で加工した」と記されています。
江戸時代の料理書『料理物語』には、「柚味噌のように口を切り、実を捨て、味噌、ショウガ、胡椒などをよくすり、榧、胡麻、杏仁(杏の種)をそのまま入れ混ぜて蓋をあわせ、束ね、よく蒸して干す」と記されており、菓子よりも酒の肴やおかずとして食べられていました。また、豊臣秀吉が千利休の庵を訪ねた際、庭にある柚子の木の実をとり、中をくりぬいて炉端で暖めて茶菓子にしたという故実もあります。
「ゆべし」とは、柚子をつかった餅菓子のことですが、もともとは保存食や酒の肴でした。柚子は、環境に適応しやすく、病気に強いため、日本全国で栽培されました。その柚子の皮を食べやすくするための方法が「ゆべし」です。「ゆべし」は、全国でつくられており、その形状もさまざま。柚子を使わない東北地方のものや餅米を多く使った岡山県高梁のもの、羊羹を練り込んだ岡山県矢掛のものなどもあります。
西条藩主は、紀州の系譜で、西条藩初代藩主・松平頼純は、紀伊家の徳川頼宣の二男であり、家康の孫にあたります。紀州藩の湯治場だった龍神温泉が「ゆべし」の名産地だったこともあり、藩主は、その味わいにふるさとを懐かしく思っていたのかもしれません。
西条の「ゆべし」は、和歌山県龍神と同様に、古来の製法でつくられています。柚子をくりぬき、砂糖、白味噌、柚子、米の粉、餅粉を混ぜて蒸します。飴色になるまで、何度も乾燥を繰り返し、手間と時間が上品な甘さを醸すのでした。
「星加のゆべし」は、慶応3(1867)年に菓子商となり、現在も柚子の姿の「丸ゆべし」と竹の皮に包んだ「棒ゆべし」という伝統の味をつくり続けています。この菓子は、昭和天皇、皇后両陛下のお買い上げ品でもありました。 |