土井中照がお送りする「ミラクルワールド=愛媛」のご紹介です。
歴史や民俗、食材、郷土料理、名産品、パワースポット、県民性など、びっくりする情報をお届けします。

愛媛のお餅

お餅とは

餅とは、もち米を蒸して搗いたものです。粘りが強く真っ白な餅は、古来、神聖な食べ物として神に供えられ、豊穣や子孫繁栄の願いが込められてきました。餅を掲くことの意味は、豊作と多産、延寿を祈る呪術的行為でもあったようです。

奈良時代の『豊後国風土記』には、「弓を射けるに、的の無借りけるにや、餅を括りて、的にして射けるほどに、その餅、白き鳥になりて飛び去りにけり」とあり、「餅を括りて的にして」は、当時の餅が丸くて平たいものであったこと、「その餅、白き鳥になりて」は、餅が白かったことを意味しています。白鳥になって飛んでいくというのは、ヤマトタケルノミコトのようです。

また、正月の餅は「歯固め」(歯を固めて一年を健康に過ごせるようにとの願いを込めた)の意味もあります。

平安時代の古典文学には、正月の餅鏡(現在の鏡餅)に始まり、子どもの成長祝いに用意する戴餅(いただきもち)、生後五十日・百日目の祝い餅、結婚祝いの三日夜(みかよ)の餅、上巳(じょうし)の節句の草餅など、人生儀礼や年中行事の折々に用意されました。

現在でも、正月の鏡餅や雑煮、三月の菱餅はその代表ですが、出産や成長祝い、棟上げや屋根ふき、収穫祝いや社寺の諸行事などにも、餅はよく使われます。餅がいかに日本人の生活で重要視されてきたかかよくわかります。

餅は、正月(=鏡餅)、小正月(=餅花)、桃の節句(=菱餅)、端午の節句(=柏餅)、涅槃会(=団子)、彼岸(ぼた餅)、盆(=お供え餅)、八朔(=八朔餅)、いのこ(亥の子餅)などの行事に食べられます。また、出産、誕生、婚礼、葬式など、人生の大切な場面でも食べられます。

愛媛独自の餅

僕が幼い頃、家では餅をついていました。父親が餅好きで、年末には杵と臼で一斗まではいきませんが、たくさん餅をついていました。
親戚が餅つきの日は手伝いに来て、餅をまるめます。最初は鏡餅で、次に小さい鏡餅。餡餅は甘い餡と塩餡の2種類。子供たちが集まり、出来立ての餅をほうばるのです。

よもぎを入れて草餅もつきました。みんなが疲れてくると、のし餅になります。たくさんつくものですから、大きなカメを用意しておき、水を貼ってその中に入れ、カビが生えないようにしていました。

餅と白米で作るのは「おふく」と言ってました。餡の入っていない餅を、松山では「すや」というのですが、今治ではその言葉を使っていなかったように思います。おふくのような、餅米と粳米を混ぜてつくのは、茨城の「たがね餅」があるのですが、あまり多くありません。「すや」は「素うどん」の「素」に接尾語がついたもののようです。

また、他の家では、雑穀やサツマイモを入れたりして、様々なバリエーションを作ることも行われていました。食べるときには黄粉をかけたり、醤油をかけたり、大根おろしにつけたりしていました。

餅の境界線

私たちの住んでいる愛媛県では、丸餅がよく食べられるのですが、スーパーで売られている餅には、角餅があります。元々、丸い形には『円満に暮らせますように』という願いが込められています。餅に願いを込めて手で丸めたのが丸餅です。では四角い餅が誕生したのはどうしてかというと、ついた餅を平たく伸ばした『のし餅』を切って作ることが『敵をのす(討ちのめす)』に通じ、縁起がよいとされたといいます。また、江戸っ子たちは、杵と臼を持っていませんでした。餅を搗く『賃餅屋』が町を回っていたのですが、丸餅では手間と時間がかかるので、のし餅を作り、それを四角に切ったというわけです。

面白いのは、丸餅と切り餅の分布で、いわゆる関ヶ原、糸魚川静岡構造線を境界としています。例えば、肉まんと豚まん、灯油缶の色も西は青で東が赤、年末に食べる魚も西はブリで東がサケ、肉じゃがも西は牛肉で東が豚肉、ネギも西は青ねぎで東が根深ねぎ、醤油の好みも西は薄口で東が濃口と分かれています。そうそう、アホとバカの分布もこの関ヶ原です。一部にタワケという名古屋あたりもありますが・・・。
西は気候が温暖で餅がかびやすいので、丸餅の方がかびにくいのでそうしたのではないかという説もあります。