土井中照がお送りする「ミラクルワールド=愛媛」のご紹介です。
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道後温泉本館

町長の英断 

昭和19年(1944)、温泉郡道後湯之町は松山市と合併し、昭和39年(1964)には鷺谷町、昭和45年(1970)に道後鷺谷町となりました。現在は道後のホテルが立ち並ぶ道後の中心地となっています。

道後の名を全国に広め、町の発展に寄与した名物町長が伊佐庭如矢です。文政11年(1828)に道後の町医者・成川国雄の三男として誕生し、18歳の時、私塾を開設。明治の世になって石鉄県や愛媛県の役人、明治19年(1886)には金比羅宮禰宜となりますが、明治23年(1890)に多くの人から頼まれて道後湯之町町長になりました。

道後温泉の改修と反対

町長となった如矢がまず行ったのは養生湯の改装です。もともと無料でお遍路さんや湯治客、地元民が利用していた湯を改装し、有料にしたのでした。町民の反対に対し、無料の松の湯と病人用の薬湯をつくる案を出して、町民の了解を得のます。さらに神の湯の改築を始め、これが道後温泉本館です。総工費3万5千円という莫大な工事費に驚いた一部の町民が、「多額の金を要するため、町の財政が破たんする。改築すれば、入湯料があがる。湯釜を替えると神罰が当たる」と騒ぎだし、反対派の住民はむしろ旗をおしたてて宝巌寺に立てこもりました。また、伊佐庭の命を奪おうとあとをつけねらう者もいたといいます。

反対派を懐柔するため、伊佐庭はまず養生湯の改築に着手し入浴無料の湯場を設けることを約束します。

明治25年(1892)の町議会では、総工費3万円の神の湯改築が決議されました。明治29年(1896)の町議会では、霊の湯と又新殿の改築が総工費6万円で議決されています。問題とされた建築費は、有志が集まって銀行から私財を担保に金を借りることで解決されたため、道後温泉は、無事に建て替えられることになったのでした。

如矢は「他所が真似できないものを造ることが地域の発展に繋がり、人が多く集まって、後の世までも町を潤す」とみんなに説きました。節約ばかりを口にするどこかの国の政治家や二流の経済人とは違い、評判を呼ぶためには圧倒的な個性や独自性が必要であることを、如矢は知っていたのです。

道後温泉本館

如矢は温泉の改築のみならず、道後と城下を結ぶ軽便鉄道を走らせ、道後公園に日本庭園を造るなど、道後の発展に繋がるさまざまな施策を行いました。坊っちゃん団子の前身、湯ざらし団子も如矢の発案になります。

もちろん、道後温泉の名前を全国に知らしめたのは、夏目漱石『坊っちゃん』ですが、文中では道後温泉は「住田の湯」となっていて、道後という名は文中に一度も出てきません。でも、「温泉は新築の新築で、上等は浴衣を貸して、流しをつけて八銭ですむ。其の上に女が天目へ茶を載せて出す」と描写し、「温泉だけは立派なものだ」と褒めています。温泉本館ができていなければ、小説の舞台となることはなく、現在の道後の賑わいは望めなかったのかもしれません。

道後温泉本館は、平成6年(1994)に国の重要文化財に指定されました。また、2007年4月に発行された実用旅行ガイドフランス・ミシュラン社のミシュラングリーンガイドジャポン」では最高位の三ツ星の評価をいただき、国内だけでなく海外からも高く評価されています。