道後温泉の改修と反対
町長となった如矢がまず行ったのは養生湯の改装です。もともと無料でお遍路さんや湯治客、地元民が利用していた湯を改装し、有料にしたのでした。町民の反対に対し、無料の松の湯と病人用の薬湯をつくる案を出して、町民の了解を得のます。さらに神の湯の改築を始め、これが道後温泉本館です。総工費3万5千円という莫大な工事費に驚いた一部の町民が、「多額の金を要するため、町の財政が破たんする。改築すれば、入湯料があがる。湯釜を替えると神罰が当たる」と騒ぎだし、反対派の住民はむしろ旗をおしたてて宝巌寺に立てこもりました。また、伊佐庭の命を奪おうとあとをつけねらう者もいたといいます。
反対派を懐柔するため、伊佐庭はまず養生湯の改築に着手し入浴無料の湯場を設けることを約束します。
明治25年(1892)の町議会では、総工費3万円の神の湯改築が決議されました。明治29年(1896)の町議会では、霊の湯と又新殿の改築が総工費6万円で議決されています。問題とされた建築費は、有志が集まって銀行から私財を担保に金を借りることで解決されたため、道後温泉は、無事に建て替えられることになったのでした。
如矢は「他所が真似できないものを造ることが地域の発展に繋がり、人が多く集まって、後の世までも町を潤す」とみんなに説きました。節約ばかりを口にするどこかの国の政治家や二流の経済人とは違い、評判を呼ぶためには圧倒的な個性や独自性が必要であることを、如矢は知っていたのです。 |