愛媛県の由来
「愛媛」という県名は、明治6年2月、石鉄県(石鎚山のこと)と神山県(神山は八幡浜にあるが場所が特定されていません・出石山でしょうか)が合併した際に決定されました。
『古事記』の記述に「伊予国は愛比売と謂い」とあり、王政復古を重視した明治政府の方針にかなう命名でした。また「比売」は女神につけられる名前ですが、「姫」とせず「媛」としたのは、「愛」との字形の相性が良いと考えられたためのようです。古字では「姫」が女官で「媛」が美女を意味するため、上代は「姫」より「媛」の方が一般的であったのたそうです。
また、「愛媛」の名は、明治5~7年に刊行されたとみられる半井梧庵(なからいごあん)が著わした『愛媛面影』という地誌に影響されたとも考えられています。
名字は自分の所有する土地の名前をつけられることが多いようです。武士が台頭した時代、武功などを挙げると土地が与えられ、その地の支配者となります。今までの家号や氏を捨て(藤原氏などのルーツは「〇〇姓」として大切にしますが)、もらった土地の名前を名字としたのです。
明治維新になって、新政府は四民平等の社会を実現するため、明治3年(1870)9月19日、平民に苗字を持つことを許可しました。これを「平民苗字許可令」といいます。しかし、この時には「愛媛」という地名はあまり知られていませんでした。その頃には「愛媛」という県名はなく、名字にするという発想にはならなかったのかもしれません。
苗字をつける場合、旧士族はもとの苗字にかえせばいいのですが、苗字を持たない平民は、発祥地や住地に関係のある地名を付けたり、祖先の言い伝えや、職業、屋号、古い縁、佳称、佳字などから付けられます。
明治4年に「壬申戸籍」と呼ばれる戸籍ができ、明治8年2月13日に「平民苗字必称義務令」が施行されて誰もが名字を持てるようになります。
愛媛県には、「平民苗字必称義務令」にあたり、魚や野菜由来の名字をつけた庄屋・浦和盛三郎がいるのですが、「愛媛」という名字にはたどり着かなかったようです。 |